luckystarpengのブログ・「ふれあい中国」

中国・桂林天元国際旅行社「ふれあい中国」に勤めています。 中国観光にお役立つ情報や中国旅行ブログなど、いろいろ載せさせていただきます(^O^)/

西山―桂林西山公園の見物(二)

   秋分が過ぎた後、秋が更ける一方でした。雨上がりの林には腐葉の匂いが発散していました。つくつく法師とみんみん蝉が名残惜しいように一生懸命に生命の挽歌を唄っていました。同じ公園の中ですが、賑やかな西湖と比べて、西山の方は別天地のように人が少なく、静かでした。落葉がはらはらと登山の道に舞い落ちて、一人でそののどかなところを歩いていました。

   西山は西峰、観音峰、魚立峰、千山の四つの峰からなっています。一番高いのは107mの西峰ですが、主峰が観音峰です。西山は唐代に仏教の聖地で、当時の中国南方で最も有名な寺院―西慶林寺がありました。

   20分ぐらい登って、西峰亭があり、街の景色が一見見下ろすことができました。あずまやの周りは平らの台で、もしかしたら、西慶林寺がそこにあったかもしれません…

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ふれあい中国より

 

西湖と隱山―桂林西山公園の見物(一)

 先日、桂林西山公園を見物に行きました。

 西山公園は主に西湖、隱山と西山の三つの部分からなり、一面に湖、三面に峰々に囲まれて、自然の風景が非常に素晴らしい庭園式の公園です。早くも千年前の唐代から開発され、それぞれ唐代の鑑真和尚、宋代の米芾と範成大、及び明代の方信孺と徐霞客などの名人がここを訪れたことがあります。

 史料の記載によると、唐代に中国には西湖という湖が36箇所もあり、桂林の西湖は一番大きい湖だそうです。広さ600畆もあった西湖は水が透き通っていて、夏になると果てしない蓮の花が咲くと壮観そのもので、大勢の人が鑑賞に行ったそうです。現在、西湖はだいぶ狭くなりましたが、夏頃に市民が蓮の花を見物する主な所です。

 家族で西湖に船を浮かべて、ゆっくりすることもよろしいですが、何よりも楽しいのは錦鯉に餌をやることです。観光客が餌を投げ出すと、大勢の鯉は先を争って、餌を奪って、激しい音を立てました。鯉も人間社会と同じく競争が厳しいなと感慨深かったです…

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一面に湖、三面に峰々に囲まれた西山公園です。

 

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秋の西湖の枯れ蓮です。

 

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濃い緑に覆われて、見えつ隠れつしている隱山です。

 

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駱駝山

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   夕食後、近くの駱駝山へ散策しました。桂林の駱駝山は七星公園にあります。坐った巨大なふた瘤駱駝にそっくりなので名付けられたのです。春になると山の麓の桃の木が一面に花が咲いて、素晴らしい景色が見えます。あの景色を昔の人が「壺山赤霞」と称えました。高さ30mの小山に「壺山」と「雷酒人之墓」と二箇所の石刻があります。

   雷酒人は本名雷鳴春と言い、明の末の有名な儒生です。明は清に滅ぼされた後、清の官吏になりたくないので、江南から桂林に流亡し、駱駝山の麓に庵を結んで、隠居の生活をしました。毎日酒を飲んだり、桃の木を栽培したりする桃源郷のような生活も楽しかったですが、郷愁と故国(明)への懐かしみがいつも雷酒人に伴っていました。憂鬱と寂しさを解消する時、酒を飲んで、壺山に登って、遠方に向かって大声で叫びました。ノスタルジアに更けて、雷酒人はとうとう寂しさの中で他郷の桂林に酔死しました。

   麓に蓮池が一つあります。浅い池水に浮き草が浮いていました。秋風が吹き渡ると襤褸の枯蓮が揺れ動いて、もの寂しい景色でした。蓮の清らかな香りが漂っていて、思わずはるかな子供の時代を懐かしく思いました…

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月見

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   夜十二時が過ぎて、家の屋上で十五夜のバーベキューに参加する親戚の人々が相次いで別れの挨拶をして、帰りました。賑やかだった屋上は静まり返って、私が一人ぼっちになりました。月見草の強い香りがどこかから漂ってきました。月が高く登って、雲の邪魔がなくなると、更に明るくなりました。空を仰いで、明るい月は静か、かつ寂しく見えました。

   子供の時から、明るい夜に時々月を見ながら、何があるかと色々想像しました。お婆さんは暗いのが大木で、明るい所に一人の仙女と一匹の兎がいると教えてくれました。でも大木はなんとか見えましたが、仙女と兎がなかなか出てくれませんでした。仙女と兎の住んでいる月宮に憧れました。

   月と競走したこともありました。偶然に人間が走るなら、月も走り、そして、人間が止まると、月も止まるという不思議なことに気がつきました…

 

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ふれあい中国より

定年後、このような人たちの仲間入りをしたいです

   朝の10時頃、穿山公園の近くまで散策をした時、抑揚の歌声が聞こえてきました。それに連れられ、公園のあずまやの所に辿りました。数人かの高齢者たちが自分で音楽を伴奏しながら、歌を歌っていました。歌は蒙古族の歌手・ブレンバヤルさんの「天辺」で、草原の景色を描いた聞き良い歌でした。みんなが楽しそうに歌ったムードに影響され、思わず一緒に唄を歌いました。

   産児制限の政策で、中国の都会部の家庭はほとんど三世代同居の家族です。定年した人は職場の仕事が終わったとは言いますが、家の家事はまだまだ続かなければなりません。病気にかかったら、家族の負担になるので、毎朝、たくさんの老人たちは近くの公園へ行って、運動するのです。その後、自由市場へ行って、家族の一日の料理の材料を買うのです。孫の面倒を見るほか、家の掃除とご飯を作ることは主な家事です。暇があれば、近所の友達と麻雀とか字牌、あるいは将棋をするのが楽しみです。道端で、麻雀と字牌をする人と比べて、今の彼たちの方がよほど上品だと思いました。将来、定年したら、彼たちのような仲間入りをしたいと思いました。

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貴州省黔東南にて、絵のような秋の棚田景色

 貴州省黔東南(けんとうなん)の黄平県にて、素晴らしい田園景色が現れました。

 秋の季節に、黄平県は金色の稲に満たされています。

 青山緑水の中、だんだんと続く棚田は、まるで一枚一枚の絵のようです。

 師匠は自然にある、ということでしょう。

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   貴州省黔東南苗族侗族自治州(ミャオ族トン族自治州)に位置する月の山。月の山の秋の景色も、なかなか美しいですね。

 

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ふれあい中国より

象鼻山

  秋は登山にいい季節です。先週の日曜日、また象鼻山を登りました。象鼻山は一名象山とも言い、漓江の川辺に立って水を飲んでいる巨大な象に見えることから名付けられたのです。

   象鼻山は高さ55mの小山で、頂上まで200段ぐらいしかありませんが、石段が急だし、段差も大きいし、山登りはきつかったです。

   頂上から遠くは穿山、塔山と七星山が見え、近くは、市区と漓江の景色が見えて、素晴らしい景色でした。山の上に明時代に建てられた宝塔があります。それは普賢菩薩を祀るお塔で、普賢塔と言います。中国には普賢菩薩を祀るお塔が四川省の峨眉山と桂林の象鼻山の二箇所しかありません。

   普賢塔は高さ13.6mの煉瓦作りのお塔です。土台が上円、下方(天が丸く、地が四角い意)二階建ての八角形の須弥座で、中身が詰まった喇嘛式のお塔です。清代に太平天国の乱を起した時、農民軍が象鼻山の頂上から城内に大砲を撃ったことがありますが、幸い貴重な普賢塔は破壊されませんでした。

   山の半ばに下って、貫いた洞窟がありました。その穴は象鼻山の目の所にあたっているので象眼岩と言います。象眼岩から市区の景色が鳥瞰できます。

   山の下にも貫通したまん丸い穴があり、それは水月洞です。水月洞の岩壁に唐代からの石刻がたくさん残されていますが、年月が経ったので、字がはっきり見えませんでした。宋代の有名な詩人陸游、範成大と張孝祥がそれぞれ水月洞に石刻を残しました。

   それから、最も素晴らしい石刻は「宋薊来た処士」と落款した「水底有明月、水上明月浮。水流月不去、月去水還流」(水底に名月有り、水上に名月浮かぶ。水流れて、月さらず、月去って、水まだ流るる。)という詩です。その詩は空、水面と洞窟に合わせて三つの満月が存在する象鼻山と漓江の十五夜の夜景をうまく描いたのです。

   これからの中秋節の夜は楽しみです。

 

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